【エッセイ】僕は不幸せだと思っていたけど②
今日はアポイントが11件入っているという鬼スケジュールの日でしたがなんとか終了してピアノのレッスンに来ておりました、それも無事終わって、ただいま大阪駅、疲れた
前の続きを書きます
高校受験勉強の話の途中でした
たくさん勉強して、センター試験は学年1位で、受験も第一志望に受かりました
ただの自慢です
なんの話やったっけ
まあええわ、大学に入りました、入学金が30万くらいで、親にそんな金ないでと言われ、死に物狂いで親族中をかけめぐり、おばあちゃんとおじさんにお金を出してもらいました、めでたしめでたし
大学に入ると狂ったようにバイトして狂ったように遊びました
週4でボウリングか飲みオールで、1年生の冬休みだけで100万くらい使いました
大学の成績は下の中くらい、ボウリングのスコアは最高で262、ダーツビリヤードもその辺のやつには負けへんくらい上手くなりました、今となっては何の意味もないけど
金の偉大さを知った19歳
そして大学2年生になり、体育会の部活ではなぜか主将に任命され、付き合ってた彼女と同棲することになり、毎日がびっくりするほど早くすぎて行きました、ちなみに実家は家賃の滞納によりこの1年間で3回引っ越しており、実家に戻るたびに家がない!!みたいな状態でした、
大学3年生4年生はひたすら部活に打ち込みました、ムキムキになりました
といろいろ話が逸れて本題がなんだか訳がわからんくなってきましたが、僕は今幸せです
今は実家暮らしですが、朝お母さんがおにぎり握ってくれるんですね、でもなんだかんだで日中食べる暇がないんですね、そして夜になるとめちゃ冷たくなってるおにぎりがあるんですね、もちろんあったかい方が美味しいんですね、でも美味しいんですよ、このおにぎりが、家に着くまでには絶対全部食べて帰るようにしてます、伝わらないかもしれませんが、人の感情をちょっとは考えられる人間に育ててもらったのかなと思っています、とまあそんな感じです
何か自分に対して施してくれたことについては、全力で恩返ししたいなと思うようになったりだとか、自分より頭が悪い人を見下したりしないとか、この人この部分すごいなって思えるようになったりだとか、人が悲しむことはしたくないなとか、他の人は頑張ってなくても自分は頑張ってみようだとか、貧乏だからこそ、自分は他人とは違うということを明確に認識できている気がします
他人と違うということは、自分自身がどうなりたいかを自分の指標で決めやすい気がします
えー、頭が回ってなくて論理的な文章ではないかもしれませんが、幸せとは相対的なものだと思います
自分が、10代に辛い思いをたくさんしてきたからこそ、今の自分や今の家族を愛することができます、過去の人生と今を比較することで、ほとんどの出来事を楽観的に捉えることができます
他人と比較して自分は幸せかを考えると、ネガティヴになってしまったりする場合もあるかもしれませんが、それとは別に過去の自分と今の自分を比較して幸せに感じられるかどうかが、楽しく生きられるかどうかなのかもな、とちょっと思います
あと、友達も自分で選ぶっていうのも大事だと思います、自分が尊敬する人やこの人好きだなって人に自分から連絡とって遊ぶようにしています、そうして自分が遊びたい人とよく遊び、楽しんでいます
あと、あとあとあと、お金はやっぱり切っても切り離せません、必要です
お金とどう向き合うかは、自分とどう向き合うかだとおもいます、哲学です、カントです
お金は、人生の選択肢を増やすためには必要だと思います、そして選択肢が多いことは幸せなことだと思ってます
今でもとりあえずなんでも受け入れて、合う合わないはそのあと判断しようって思って生きてます、否定から入ることは自分の成長だったり、知らないことを知る機会を逃してるような気がしてもったいないなと感じてしまうんですよね、とりあえずなんでもかんでも吸収してみよう!というのが24歳の今の現状ですね、日々成長!
んー、残りはというと、健康に生んでくれたことに感謝ですね、子供の頃は家がホコリ塗れだったこともあるのか、ホコリとかには全く反応しない体になってます、花粉症もいまのとこ全くないですね
我が家は放任主義で、親に早く家に帰ってこいだとか勉強しろだとか言われたことはほとんどなくて、高校の時も親に連絡せずによく勝手に友達の家で泊まったりしてましたね、クソ野郎ですね、でも自分で考える力はちょっとついたかな、どうやろ
家につきました、終わります