24歳になりたくない

アラサーになるのがコワイ人間の日記

大阪在住24歳、銀行で営業してます。将来に向けた投資や不安に思っていること、頭の中で考えては右から左へ抜けそうな出来事、旅行へ行った感想など書いております。ふって笑える日記のようなものを目指してます。よろしくお願いイタシマス

【エッセイ】僕は不幸せだと思っていたけど実は幸せな人間だった

こんばんは、今日はエッセイ風に書いていこうと思います(上司と一緒に帰るのが気まずくて、1人あえて別の車両に乗って帰宅しています、つまらん部下でごめんね)

 

最近よく聞いてる歌があります、「私中卒やからね仕事をもらわれへんのやと書いた」

 

中島みゆきのファイトの歌詞です、この歌を聞いてると中卒の僕のお父さんの気持ちもこんな気持ちだったのかなと思ったりします、いろいろ大変だったんだろうなあ

 

10年前、僕は14歳の頃、振り返ると今までの人生で1番しんどかった時期でした

思春期の友達関係はもちろん、家庭崩壊していましたんですよね、

僕の父親はギャンブルにすっかりハマっていて、仕事もせず毎日ギャンブルに勤しみ、夜中になると母親が頑張って稼いだパート代をこっそり盗んで朝になると姿を消していました

僕が家に帰ると母親は毎日泣いてるし、父親は行方不明だし散々でした、

ある日、僕と弟がお年玉を折半して買ったDSがなくなりました、あの頃は毎日友達とDSで遊んでいたので、DSがないと友達と遊べなくなってしまうほど僕らにとってDSは大事なものだったんです。それを父親に問い詰めると売ってしまったと言われました。

そこで14歳の僕はなにかのスイッチが切れて、父親のことをボコボコのボコボコになるまで殴り倒していました、これが僕が人を殴った最後です、あげくに2度とお前のことはお父さんと呼ばない、もう一生家に戻ってくんなと言いました、お父さんは泣いていました

今思うと育ててもらっておいてなんて口の聞き方なんだと思います、今は家族全員で仲良く食卓を囲んでいます、みんなあの頃のことを覚えているはずなのに

母親には、毎日のように「うちはうち、よその家はよそや」と言っていました

メンタル強すぎ

そう、母親のメンタルはメタル級でした、どんだけ自分の働いた金が盗まれようが、毎日必死に働いていました

そうやって必死に育ててくれるのを感じていたおかげで、僕は幸せに生きられています

ご飯は絶対残さないとか、人を傷つけることは言わないとか、そういうことは貧乏な家庭の方が染みついている気がします

そんな貧乏な家庭でしたが僕と弟はスポーツをさせてもらってました

家にいるのが嫌だったこともあって、僕は家に帰ったらすぐ寝れるようにめためたにスポーツに打ち込みました、あげく勝ち進みすぎて気がつけば中3の時には全国でベスト16まで勝ち残りました、両親ともに試合を見にきてくれていました

高いテニスラケットを買ってくれてた親に感謝感激雨嵐、弟も気が狂ったように野球ばっかりして高校の時には甲子園に出てました、さすが

 

高校生になって、少し家は落ち着きはじめました

まあいろいろありましたが、

そして3年生になり、いよいよ受験が近づいてきました。母親は高卒、父親は中卒だったこともあり、僕は今まで家で勉強しろと言われたことが一度もありませんでした、そして進路の相談をすると、母親に働くか専門学校に行けと言われました

でも僕は当時まだ父親が嫌いだったので、反面教師にして大学に行ってみたい気持ちがありました、それでいろいろオープンキャンパスに行ったところ、同志社大学に行きたいと思うようになりました

偏差値もまあまあ高いし、可愛い子いっぱいいるし、何より京都のおしゃれな感じに舞い上がってました、そして行けると思ってました

学校には指定校推薦みたいなのがあって、僕は学校でまあまあ上位の位置にいたので、推薦でいけると思ってました

しかし1つ重大なことを忘れていました

家が貧乏だと言うことです

母親には、大学に行くなら学費は全部自分で払えと言われていたので奨学金で私立に行くことを考えはじめました、でも私立の授業料ってクソ高いんですよね、僕は将来何百万もの借金を背負って生きて行くんかと思うと、華やかな同志社への気持ちも自然と薄まっていきました

目指すは国公立になりました、ただ僕の高校は毎年国公立に行くのは3、4人であとは半分私立、半分専門、就職という学校だったので友達にも国公立目指すん?無理やろみたいな感じに言われてました

ここで貧乏魂に火がつき、頑張って勉強しようと決心しました、また、大学に行くのには塾は必須だと思っていたので、母親にめちゃくちゃお願いして塾にいれてもらいました。月5千円で1つ授業を取って、残りは自習室でひたすら勉強しました、そう、自習室を使いたかっただけ笑

お母さんまじ感謝

その塾には高校の友達が7人くらいいて、地元の友達もいたのですごく楽しく勉強できました、毎日11時まで勉強して、家に帰って夜中の3時くらいまで勉強して、次の日寝坊して10時くらいに学校に行く

みたいな生活を続けました

 

最寄り駅についたので続きは今度書きます